LOGINカレンが眠りにつくと、屋敷は静けさに包まれた。
蝋燭の灯がゆらゆらと壁を照らし、夜気がひんやりと漂う。ジャスミンは胸の奥を落ち着かせながら、ゆっくりと執務室の扉をノックした。
「セオドア様、今よろしいでしょうか?」
「ああ、入ってくれ。」
扉を開けると、部屋の奥では蝋燭の光が机上の書類を照らし、淡い琥珀色の光がセオドア様の横顔を縁取っていた。
その傍らには、いつものようにワグナーの姿もある。「失礼します。」
「そこに座って。」
セオドア様がいる机の手前にあるソファを勧められ、腰かける。
今日中に話したいことって、何かしら?
勝手にカレンを農園に連れ出したのがダメだった? どんなに怒られてもいいから、解雇だけは許してもらおう。 彼に認められなければ、カレンのそばにいられない。「ここでの仕事は慣れたかい?」
「…ええ、少しずつですけれど。」
セオドア様は一瞬視線を落とし、それから柔らかな声で続けた。
「それは良かった。
ところで、ポーラの代わりに毒味役をやってもらっているが、大丈夫か?」「大丈夫と申しますと…?」
「若い女性にあのような役をさせるのは、心苦しくてね。
だが、カレンに最も近く接する者には、それだけの覚悟を持ってもらわないと安心できない。」「…それは大丈夫です。
でもどうして、セオドア様の食事まで制限しているのですか? もっと自由に好きな物を召し上がりたい時もあるでしょうに。」「僕にはカレンを育てるという使命がある。
だから僕も彼女がひとり立ちするまでは、生きなければならない。 それを過ぎたら、私の命はどうなってもいいから、毒味なしで食べるつもりだ。」セオドア様の声は静かだったが、底に確かな意志があった。
「では、今の体制はカレン様のためだと?」
「それ以外に、僕に生きる意味などないさ。」
「そうですか…。」
短い沈黙が落ちた。
蝋燭の火が小さく揺れ、机の上の影が揺らめく。再び出会ったセオドア様は、私が描いていた彼とは別人のようになっていた。
確かにカレンを大切にしている。 それはもうここへ来てから、十分に感じたけれど、何かがおかしい。彼は私がいなくなったのを幸いに、ローレッタと一緒にいると思っていたのに、実際は彼女の姿は、どこにもなかった。
あの頃は、私が仕事で離れるたびに会っていると、噂が絶えなかったのに。それに自分の命がどうでもいいだなんて、私の知ってるセオドア様だとは思えない。
まるで、彼自身の生を半ば諦めているように感じて、逆に不安になる。 あの頃の、生き生きとした彼とはまるで別人のように思えた。これはどういうことなのかしら?
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「ああ、何だい?」
「カレン様をもっとお外で遊ばせたいと考えています。
農園もそうですし、庭園や厩舎に行っても良いですか?」「厩舎はダメだ。
馬に蹴られたりしたら、カレンが命を失いかねない。」「乗馬まではしなくても、少し馬を撫でるだけでもダメですか?
動物と触れ合うことも大切だと思うんです。」「悪いが、却下だ。
ほんの僅かでも危険を犯したくないんだ。」「そうですか…。
庭園でボール遊びや遊具などは?」「ボール?
柔らかいのを準備しよう。 遊具は危険だからダメだ。」「…わかりました。」
子供向けに作られた遊具の何が危険だというの?
胸の奥で小さくため息が漏れる。
セオドア様の子育ては不自由過ぎるわ。 これじゃあ、子供の内に遊ぶべきことを何も知らない大人になってしまう。 是非とも改善するべきだわ。そう思い言い返したいけれど、今の私では彼の子育てに意見する立場ではない。
つらいけど、一旦、諦めるしかないだろう。 いずれ少しずつ、変えて行くしかない。「カレンを連れ出していいのはあくまで、門の内側だけだ。
それを忘れないように。」「はい。」
「もう下がっていい。」
「はい、失礼します。」
私は深く一礼し、静かに扉を閉めた。
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それから、ジャスミンが部屋に戻ると、セオドアの執務室に今度はマーカスが呼び出された。「お疲れ様、座ってくれ。」
「はい。」
マーカスは静かにソファに腰かけた。
「早速だが、ジャスミンについてどう思う?」
「どう…と申されますと?」
「カレンにとって良い影響を与えていると思うか?
僕の知らない一面を見せているかもしれないと思ってね。」マーカスは僕の意を汲み、真剣な眼差しで答えた。
「はい、ジャスミンさんはカレン様に見せる姿とそれ以外でも、変わりはありません。
今まで、カレン様を見るフリをして、セオドア様に媚を売り、クビになった者達と全く違います。セオドア様にお伝えしていませんでしたけれど、あなた様と言わずとも僕達に好意を向ける者もおりました。
でも、ジャスミンさんは僕達ですら全く目に入ってません。
ただただ、カレン様と楽しく過ごしているように思えます。それが、今までの方達と明らかに違います。
僕達にどう思われようと、どうでもいいのでしょう。こう見えて、僕達だって民からは憧れの目を向けられることも多いのです。
けれど、彼女からはカレン様を守ってほしいというある種の仲間意識しか感じません。 はっきり言って、彼女が年頃の若い女性だと、とても思えません。」「なるほど、では、ジャスミンはカレンにとって無害なんだな。」
「はい、むしろジャスミンさんほどカレン様に相応しい者はいないと思います。」
「そうか、わかった。
ありがとう。」「では失礼します。」
マーカスは深く頭を下げ、部屋を後にした。
僕は静かに椅子にもたれ、長く息を吐く。
「ワグナー、君はどう思う?」
ずっと話に割り込まず、聞き役に徹していたワグナーに声をかける。
「私もマーカスの意見に同意します。
何よりカレン様が以前より明るくなった。 それだけでも大きな違いかと。」「そうか、わかった。」
僕は視線を落としたまま、しばらく動かなかった。
不思議な気持ちで、皆の報告を受け止める。二十歳そこそこの若い女性が、周りの男達の視線を意に介さず、カレンだけを見るということがどうしても信じられなかった。
けれど、僕が信じる数少ない者達がそう言うのだから、そうなのかもしれない。
だが、微かな違和感が拭い切れない。
何か、彼女がここにいる理由があるように僕には思えてならなかった。ジャスミンとセオドア様は二人の意志で、再び結婚することをカレンに告げた。「おめでとう。 ジャスミン、お父様。」 カレンはにこやかに微笑みながらも、どこか誇らしげな表情を浮かべている。「嫌ではない?」 少しだけ不安に思い、尋ねる。「まさか、お父様がジャスミンがお母様だと教えてくれた時から、こうなることはわかっていたわ。 だってお父様ったら、ジャスミンにべったりだもの。」「そうかしら?」 照れ笑いする私に、カレンはいたずらっぽく目を細めた。「そうよ。 お父様の視線の先には、いつもジャスミンがいるの。 気づいていないのはきっと、ジャスミンだけだと思うわ。」「えっ、そうなの?」「そうよ。 だからこそ、お父様は私にジャスミンがお母様だって、伝えたんだと思うわ。」「…そうなの?」「ジャスミンってそういうことに鈍感なのね。 誰の目から見ても明らかなのに。」「まあ、カレンがそんなことを言うだなんて。」 「私はジャスミンより恋愛を理解しているつもりよ。」「そうなのね。」 私はふっと笑いながら、カレンの横顔を見つめた。 いつまでも子供だと思っていたカレンはもう一人の女性として成長しているのね。 そう思うと、胸の奥が温かくなる。 もしかして私は、魔法ばかりの人生だったから、こういう感情に疎かったのかもしれない。 ある日の午後、庭園でカレンがユーリーに魔法の指導を受けていた。 風が花々の間を通り抜け、柔らかい午後の日差しが照らしている。 キャサリンがセオドア様と並んでベンチに座り、カレン達を眺めていると、指導終わりのユーリーが歩み寄って来た。「前から思っていたけど、もしかしてジュリア様?」「えっ? どうしてわかったの?」 私は驚いて目を瞬く。「だって、ブライトン侯爵様の眼差しが、ジュリア様に向けていたものと全く同じなんですもの。」「そうかしら。」 そう言われて私達二人を見ても、セオドア様が少しだけ私のそばにいて、手を取っている以外は特に変わりない気がするけれど、周りにはそう見えないらしい。 私が頬に手を当てて微笑むと、ユーリーは肩をすくめながら言った。「ブライトン侯爵様がこんなふうに女性を見つめるのは、ジュリア様である証拠だわ。」「そうなの? そんなに違うのかしら。」「わかってないのね。 ジュリア様がい
暖かな蝋燭の灯りが静かに二人を包み込み、ティーカップの中の香り立つお茶が、心をそっと癒してくれる。 それでも、セオドア様の想いを知るほどに、私の胸の奥に、熱いものが込み上げ、言葉を奪う。 これまで何度も向き合い損ねた記憶が、まるで波のように押し寄せては、私に責めたてる。 どうして、あの頃は彼の優しさに気づけなかったのだろう。 大魔法使いの役割なんて、知らない人が多数だし、それをいちいち理解してほしいとも、思っていなかった。 けれど、セオドア様はすべて知ってなお、支えてくれていたのだ。 あの時の私は、そんなことに気づく余裕も時間もなかった。 こんなに大切に思ってくれる人と向き合わず、仕事と不貞を言い訳に、セオドア様を避けていた。 欲しかった愛は、すぐ目の前にあったのだ。 私を抱きしめるように、ずっと。 そっと彼の腕に触れると、あたたかなぬくもりが手のひらに広がり、胸の奥から涙が込み上げた。「…ごめんなさい、セオドア様のことをもっと信じて、話し合う時間を作れば良かった。」 震える声で告げると、彼は静かに微笑んだ。「もう過ぎたことは、悔やまなくていい。 君はいつだって大魔法使いとして、立派にその役割を果たしていたんだから。 君の方こそ、恨まれる原因を作ってしまった僕を許せるかい?」「ええ、あなたが悪くないのはわかったわ。 まさかこんなことになるなんて、誰にも予想できなかったのだから。」「ありがとう。 二度目の人生も僕といてくれるかい? 今度こそ、君を愛していると余すところなく伝えたいんだ。」「ええ、嬉しいわ。」「良かった。 なるべくわかりやすく伝えるように努力するよ。 だって僕は、共に過ごせるだけで、十分幸せだから。」 その声は、長い孤独を溶かすように優しかった。 セオドア様がそっと私の髪を撫で、額に唇を落とす。「好きだよ。 どんな姿であっても。」 その瞳は言葉よりも甘く、真実だけを私に囁いていた。 私は震える声で彼を見上げる。「私、もう一度あなたの隣で生きたい。 カレンも一緒に。」「もちろんだよ」 セオドア様は柔らかく笑い、私の手を包み込んだ。「君だと気づいた時から、僕はそのつもりだった。 ただ、カレンは多感な年頃だから、見た目が若い君に夢中になっている僕を、彼女がどう思うか不安だったんだ。」
夜の静寂に包まれた部屋で、二人だけの夜が深けていく。 お茶で一息つくと、セオドア様はジャスミンを見つめて話し出した。「僕は元々ブライトン侯爵家の当主になる予定ではなかったんだ。 上に兄がいてね、何も期待されず、物心ついた頃から騎士として国境の警備をしていたよ。」 そう話す彼の目には、遠い過去が映っているようだった。「王国内は結界で守られているけど、外側には常に魔獣がいて、綻びから内側に侵入しようと絶えず狙っているのは知っているよね。」「ええ。」「いざその隙間から魔獣が侵入すると、僕達騎士は懸命にそれを食い止める。 けれど、その中で犠牲になる者もいて、魔法使い達が現れて結界を張り終えるまで、必死の思いで戦って持ち堪えようとしていた。」 彼は拳を握りしめ、その横顔は若き日の痛みをまだ宿している。「どんなに頑張っても仲間は倒れていく、何度も挫けそうになっていて、僕達にとって魔法使いは救世主のような存在だった。 その中でも、大魔法使いであるジュリアの力は、常に僕達の希望なんだよ。」「じゃあ、私と国境で会ったことがあるの?」「ああ、君には使命があり、僕達騎士などには目もくれないけれど、僕は何度も君に助けられている。」「そうなのね。 知らなかったわ。」 ジャスミンが目を伏せると、セオドア様は微笑んだ。「ああ、そうだろうね。 ジュリアの仕事は忙しく、あちこちに転移して飛び回っていると聞いていた。」「ええ、次から次へと結界の綻びが見つかるから、張り終えるとすぐに次の場所に行き、騎士の方とお話しようとも思ったことはなかったわ。」「ああ、それはわかっているつもりだよ。 だから、振り返ってほしいなんて、一度も思わずに気がつけば、いつの間にか君を好きになっていた。 堂々と魔法で僕達を救う姿は、颯爽としていて、希望そのものだったんだ。」 蝋燭の灯が小さく揺れる。「ある時、魔法使い達が君にも後継が必要だと話しているのを聞いてね。 貴族であることが条件だと知って、僕はすぐに名乗り出たんだ。 大魔法使いである君を支えたいと思ったんだ。 けれどそのことで、保守派や王族が騒ぎ出した。 僕はただ君に憧れ、君を支えて生きていきたいと思っただけなのに。」 私は小さく息を呑む。「君の能力にどれほど助けられて生きているか、王都で守られて暮らす者達は
別邸には、ワグナーの拘束やローレッタを呼び寄せた記憶など、良い思い出がほとんどなかったので、ジャスミン達は早々にブライトン邸へ戻っていた。 庭園には風がそよぎ、陽射しがお茶の表面にきらめいている。 テーブルを囲み、私とセオドア様、カレンでお茶を飲んでいると、セオドア様がティーカップを置き、少し真剣な声で告げた。「カレン、君に話しておきたいことがあるんだ。」「何、お父様?」 カレンは不思議そうに首を傾げる。 セオドア様は一度私を見て、静かに息をついた。「驚くと思うけれど、ジャスミンのことで、カレンにも真実を知ってもらいたい。」「わかったわ。」「ジャスミンは、転生したジュリアなんだ。 つまり、君のお母さんだよ。」「えっ?」 カレンは目を見開いた。「驚くのも無理はない。 けれど、ジュリアは大魔法使いだっただろう? 前世で命の危機に瀕したとき、転生魔法を使って生まれ変わることにしたんだ。 だが転生する時に、魔力をすべて使い果たしてしまったから、もう魔法は使えない。」「そんな…本当なの、ジャスミン?」「ええ、本当よ。 命の危険があったから、すべて解決するまで話せなかった。 でも、セオドア様とポーラには気づかれてしまったけれど。」 私は柔らかく微笑み、まっすぐな瞳で答えるようにした。 彼女には何を聞かれようと、真摯に答えるつもりだ。「お母様の肖像画を見たわ。 全然姿が違うのね?」「ええ、そうよ。 姿が変わった理由は、私にもわからないけれど。」 カレンはじっと私を見つめ、やがて小さく頷いた。「そっか、言われてみたらそんな気もする。 だってジャスミンは本当のお母様みたいにとても親身になってくれたもの。 それに、毒味をしてくれていたから。」 「そうだったのね。」「うん。 普通ならそこまでしてくれないよね。 ポーラは特別だけど。」「そうね。 ポーラは私の代理として頑張ってくれていたの。 とても感謝しているわ。 ずっと秘密にしていてごめんね。」「ううん、いいの。 お母様の命が一番大切だから。」「ありがとう。」 セオドア様がゆっくりとカレンを見た。「カレン、だからジュリアの姿形が変わっても、彼女を愛してしまう僕をわかってほしい。 どうしても止められなかった。」「お父様は、早くから気づいてたんでしょ
「今、構わないだろうか?」 ジャスミンが顔を上げると、セオドア様が立っていた。「ええ、セオドア様。」 毒に倒れてからまだ日も浅いというのに、彼はすべての後始末を終えたのだろう。 目の下には深いクマが刻まれていて、その疲れ切った様子に、思わず胸が痛んだ。 私はまた彼を心配している。 あの時、毒を飲もうとした私を、彼は止めてくれたけれど、その一方でローレッタを夕食に招いていた。 もしかしたら、彼女と再び関係を持つのではと考えると、胸が締め付けられる。 信じるのはやめようと思うのに、また信じる。 セオドア様に心を揺さぶられ続ける人生に、もううんざりしているはずなのに繰り返す自分に呆れてしまう。 彼は部屋に入り、机のそばの椅子に腰を下ろした。 蝋燭の明かりが、彼の険しい横顔を照らす。「まずは君を狙った犯人だが、すべてワグナーだった。 だからもう安心していい。」「前回もなの?」「ああ、僕が教会に近づくのを阻止するためさ。 ワグナーを捕らえたから、いずれそれを指揮した貴族達も捕えるだろう。」「前回は私が大魔法使いだから、教会と繋がるのを嫌がるのはわかるけれど、今回はただの民だわ。 なのに狙われたのはどうして?」 セオドア様は目を伏せ、小さく息を吐いた。「君を失えば、再び保守派の女性と関わるようになると考えたのだろう。 そんなことあり得ないのに。」「そこまでして、セオドア様が教会と関わるのを嫌う理由はどうしてなの?」「すべては権力と金の流れさ。 ブライトン家はずっと保守派の財源的存在だったんだ。 だが、僕が当主になり、その流れを変えてしまった。 そのせいで保守派は資金不足に陥って、規模を縮小せざるを得なかった。 それが許せないのだろう。 それにターベル公爵の友人で、圧力がかけにくい。 だから、手荒な方法に出たんだと思う。」「そんなことのために、私は二度も命を狙われたの?」 私の声が震えた。 セオドア様はその震えに気づきながらも、真実を話そうと静かに頷く。「残念ながらそうだ。」「ワグナーのことも、私はずっと信じていたわ。」「それは僕も同じだよ。 ワグナーは長年ブライトン侯爵家に仕えてきた忠実な執事だった。 まさか裏で保守派と繋がっていたとは、自分に毒を盛られるまで、気づかなかったよ。」「でも、どうして気づ
「ローレッタ、お待たせしたね。 料理は美味しかったかい?」 客間の扉を開けると、彼女は空になったワイングラスを指で弄んでいた。 蝋燭の灯りがその紅い唇を照らし、少し膨れたように尖らせている。「もう、セオドア様ったら遅いわ。 一人で寂しかった。」「悪かったね。 どうしても君が必要だったんだ。」「まあ、嬉しい。 やっと私とお付き合いしてくれる気になったのね。」 ローレッタは媚びるように笑いながら、白い手を伸ばして僕の袖に触れようとした。 しかし、わずかに身を引き、静かな声で続ける。「悪いが、僕が考えていたのは、君が思っていたのとは少し違うんだ。 僕達が付き合っているように見せることに協力してくれたことは感謝している。 確かワグナーが間に入ったんだよな。」「ええ、そうよ。 ぜひ演じてほしいと言われてね。」「その他に何か聞いていたかい? 例えば、ジュリアがいなくなった後のこととか?」「いいえ、何も。 ワグナーさんは彼女が亡くなってからは、途端に連絡して来なくなったのよ。 私がいくらセオドア様をお慰めしたいって言っても、とり持ってくれなかったわ。」「そうか。 じゃあ、君はキャサリンのことも聞いていなかったのかい?」「誰それ? 私知らないわ。」「そうか、だったらいいんだが、実は僕に新しく好きな女性ができたんだ。 だから、今後、君と個人的に会うことはないだろう。 これは少しだけど、君への感謝の気持ちだよ。 受け取ってくれ。」 僕は淡々と告げ、小箱をテーブルの上に置いた。 ローレッタがそれを開けると、光沢のある宝石と金の装飾品がぎっしりと並んでいる。「ありがとう。 手切れ金ってわけね。」 ローレッタは俯きながら笑い、宝石を一つ指先で転がした。「そう思ってくれてかまわない。」「こんな物よりあなたが欲しかったのに。 だから、ジュリア様が私の邸に来た時、事後を装って追い返したのよ。」「そんなことを?」「ええ、ジュリア様は青ざめて帰って行ったわ。 その後すぐ亡くなって、私も少し反省したわ。 でも、謝らないわよ。 私は恋人のフリをする約束を守っただけだから。 私だってあなたが好きで協力したのよ。」「わかってる。 エントランスまで送るよ。 馬車を待たせている。」「ええ。」 玄関先の夜風に吹かれなが







